こころのカフェテリア

「こころ」の理解としての情動研究 Vol.2

 「こころ」とは何か。古くから多くの人たちが問いかけてきた問題です。「こころ」の意味を辞書で調べると、「人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。知識・感情・意志の総体。思慮・おもわく。気持ち・心持。思いやり・情け。 情趣を解する感性。望み・こころざし」(広辞苑)という説明があり、その先を見ると、「こころ」で始まる多くのことばが続きます。「こころ」が洗われる、「こころ」が通う、「こころ」が騒ぐ、「こころ」が沈む、「こころ」が乱れる、「こころ」に浮かべる、「こころ」に刻む、「こころ」を奪われる、などです。
 一方、「心」をその一部に含む漢字を探してみると、
 「忌」(きらう、おそれる)
 「志」(心をその方に向ける)
 「忍」(こらえる)
 「忘」(心をうしなう)
 「忠」(まごころ)
 「忝」(はずかしめる)
 「忿」(いかる)
 「怨」(うらむ)
 「葱」(あわてる)
 「恣」(わがまま)
など、たくさんの漢字が検索できます。「こころ」で始まる言葉や「心」を含む漢字の意味を眺めると、「こころ」は人の感情や感情の変化と密接に関わっていることがわかります。
一方、「心」を含む漢字の意味や、「こころ」の働きから、「こころ」が脳の働きと密接に関わっていることは疑問の余地がありません。しかし、「こころはどこにありますか?」と問われたら、多くの人は、頭を指差すのではなく、左胸のあたりを指差すのではないでしょうか。「心」は、心臓の形をあらわす象形文字からできています。心臓は絶えず一定のペースで動いていますが、自分自身の「こころ」の変化に伴って動きが変化し、その変化が意識されるので、今の自分の「こころ」を心臓の動きが表現していると感じます。「こころ」が胸の中にあると思うことは不思議ではありません。しかし、今の私たちは、脳の働きによって「こころ」が生み出されることを知識として理解しています。
「こころ」のすみかである脳はMRI画像をとおしてその概観を見ることができますし、頭蓋骨の中から取り出せば脳を直接見ることもできます。さらに、脳を切り分け、薄い切片にして染色すれば、神経細胞やその構造を顕微鏡で見ることもできます。また、脳の中の出来事は、脳波やMRI画像を通して観察することもできます。しかし、取り出された脳をいくら眺めても、脳の中の出来事を観察しても、「こころ」は見えてきません。「こころ」は見えないものなのでしょうか。どうしたら見ることができるのでしょうか。

「こころ」はだれにも見えないけれど
  「こころづかい」は見える

 これは、詩人 宮澤章二の『行為の意味』と題する詩の一部です。この文章にあるように、実は「こころ」は人が表す行為を通して外に現れ、私たちはその行為を通してその人の「こころ」を見ることができます。「こころ」という言葉は、人の感情や感情の変化と密接に関わっていることが、その使い方から理解されます。人の「こころ」は、表情、態度、言葉遣い、視線といった、感情に関係した行為として外に現れ、これによって「こころ」の状態やその変化を知ることができます。しかも、それが積極的な行為として行われたとき、「こころ」はよりはっきり現れます。これらの行為はいずれも脳の制御によって生じます。「こころ」そのものを研究の対象にすることはできませんが、「こころ」を表す行為を生みだす脳の働きは研究の対象にすることができます。表情、態度、言葉遣いなど、感情に関連した行為を制御する仕組みの検討を通して、「こころ」を生み出す脳の働きを明らかにする、これが情動研究の目的の一つであると思われます。


(文:船橋新太郎 京都大学名誉教授)