こころのカフェテリア

情動操作と自由意志 Vol.11

(この写真は「クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際ライセンス」のもとに利用を許諾されています。From Wikipedia ”Capilano Suspension Bridge”)

 今から15年以上前の話であるが、私はカナダ・バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学で開催されたワークショップに招待された。招待者のAnthony Phillips教授のもとに日本からポスドクとしてかの地に行っていた(当時)高知医科大学の西原真理さんがバンクーバーの空港に迎えに来て下さった。お昼ごろ空港に着き、行事は夕方から始まるということで、西原さんは車でバンクーバー市内を案内して下さった。いろいろ市内を見て回る途中、西原さんに「この近くに有名な吊り橋があるのですが、興味ありますか?」と聞かれた覚えがある。その吊り橋は心理学で大変有名な実験が行われたところであったのに、話に出た橋がその吊り橋であることに気づかずパスしてしまい、なんて残念なことをしたのか、と後で思ったものである。
 この有名な「吊り橋実験」(Dutton & Aron, 1974)では、独身男性を集め、渓谷に架かる「かなり揺れる吊り橋」と「揺れない橋」の2ヶ所で実験が行われた。男性にはそれぞれ橋を渡ってもらって、橋の中央で同じ若い女性が突然アンケートを求め話しかけた。その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えた。その結果、吊り橋の方の男性の多くからは電話があったのに対し、揺れない橋の方の男性からはわずかしかなかった。揺れる橋で生起した「高まった情動状態」、「ときめき」が(その情動状態が原因であることは意識されることなく)電話をかけるという行為につながったと解釈されている。この実験は、手続きや解釈について議論があるものの、情動状態が行為に影響することを示したものとして有名であり、デートでジェットコースターやおばけ屋敷に行くのはその応用とされる。
 ニューヨークのスーパーマーケットで行なわれた研究(Milliman1982)によると、アップテンポのBGMを流すよりも、スローテンポのBGMを流す方が、客の店舗内での移動速度が17%遅くなり、売上が38%上昇したとされる。またレストランで行った研究(1986)によると、スローテンポのBGMを流すと食事をする速度が遅くなり、食事量は変わらないものの、アルコール飲料がより多く消費されたとされる。どちらの研究でも客はBGMのことを意識することはほとんどなかったとされ、BGMにより生じた情動状態が行為に影響したものと考えられている。
 情動が行為に影響することを示した研究はその後も数多く出されている。ここで問題になるのは、私たちは「たまたま遭遇した環境変化によって生じた情動により(意識することなく)一定の方向の行為が促される」、つまり情動操作により自由意志が支配されてしまう、ということである。テレビCMなどでも商品の利点を紹介することなく、直接関係のないイメージを呈示してそこで生じる(好ましい)情動が商品購買につながることを期待したものも多い。
 私たちは否応なくこうした情動操作によって特定の行為を促される毎日を送っているとも言える。自由意志はどこにあるのか、と不安にもなるが、先ほどの吊り橋実験で電話をかけたのは、吊り橋条件では18 人中9 人,揺れない橋条件では16 人中2 人ということで、だれもが情動操作を受けたわけではない。BGMの購買、飲食への影響も、ヒトによる差が大きく、情動操作を受けやすい人とそうでない人がいることは確かなようである。さらに、私たちは「情動が操作されているのではないか」と意識することで、自由意志が阻害される機会は少なくできると思われる。

Dutton, D. G. & Aron, A. P.(1974. Some evidence for heightened sexual attraction under conditions of high anxiety. Journal of personality and Social Psychology, 30, 510-517.

Milliman, R. E. (1982) Using Background Music to Affect the Behavior of Supermarket Shoppers. The Journal of Marketing, Vol.46, No.3, pp.86-91.

Milliman, R. E. (1986) The Influence of Background Music on the Behavior of Restaurant Patrons. Journal of Consumer Research, Vol.13, No.2, pp.286-289.

(文:渡邊 正孝 公益財団法人 東京都医学総合研究所 客員研究員)